[らっぽんの歴史]






ある日

からだが動かない






月350時間ほど働いていた時


いきなり激痛が襲い

寝たきりに。

いろんな先生に会い

いろんな本を読み

いろんなセミナーに出逢い

たったひとつ

わかった答え



「どれも効果があるけど一瞬で戻る」



そして


数年後


からだは快方に向かい

戻ることもなくなり

精神状態や

仕事のスタミナ




人生の矛先が

変わり始めました


その理由は



「からだの使い方」




感動し

これは

一生ものだと

感じました



仕事も

しあわせ感も

すべて

からだが

ベースとなっていて



わたしが

一番伝えたいのは


からだの使い方


からだの捉え方



未だに勉強・研究・臨床の毎日


伝える内容も

伝え方も

学んでいるため

 

スパッと

うまく

伝わりませんが

これだけはわかってください


からだはゲームのようにおもしろい




一般の健康概念とは違います



からだの仕組みを

知る機会は

20年前よりは

はるかに恵まれています


人生が180度変わるくらいの衝撃が

からだにはあります


周りにいませんか?


歳をとるほど元気になっていく人


若返っていく人


あなたがそうであれば

何もいうことはありません




日々学んで

発信する

人生を目指していますが


クリエイター気質のため

仕事が遅くてすいません。



あなたの

その景色が

変わるように

学んで参ります







22の頃



ハードワーカーでした






重度の椎間板ヘルニア


坐骨神経痛になり




ある朝


痛みで起き上がれなくなりました


そして
やがて

寝たきり生活



「このまま起き上がれなかったら」



人生初めて不安になり




昔からお世話になっていた接骨院に



片足をひきづりながら向かい


先生に頭を下げて

1日に2回以上
通わせてもらいました。

たまにカレーライスを食べさせてもらったり

おかげさまで

だんだんと普通に動けるようになり

でも

 完全には治らず。

いつまた再発するかわからないという


爆弾を抱えた生活に


 





24の春






出逢い



当時はあまり知られていなかった



「整体」



当時の自分には高額でした


しかし

「治る」と言われました


思い切って

回数券を買い


がんばって
通いました。



でも



変わりませんでした。



もっと簡単に治るものかと
思っていたのに


🐶

それから

どうしたらこの腰痛は治るのか?


治療院巡りの人生が始まりました。



カイロ

鍼灸

オステオパシー

キネシオロジー

アロマ

足裏リフレ

気功

上部頚椎専門

脊髄電圧

高位電圧

怪しい系

など


上げればきりがありません



それでもパッとしません。






1999年

独学を始める






2000年

からだ総合研究所開業








「治療専門」



くる人はみんなからだがボロボロ。


みんな

「何とかして欲しい」

頼まれました。


がんばってたら
クチコミで街中広まりました。


でも

治せなかった。。。



その理由はふたつあり



一つは力不足




もう一つは


「予防意識の不足」



特に病気の人は


他人が治すものだと思ってる



その場合

当然

治せないことが多い



痛みは治せても
病気が治せない




20代の頃

病気で亡くなっていく人たちを

たくさん見てきました







当時は

バキバキ系のハード整体



待合室ではきた人と

タバコ吸いながらしゃべってた時代

(今は吸っていません)





自身のからだも壊れ


いつも

120%以上の筋力で


額から汗が滴り落ち



一年に一回は必ず腰が動かなくなり

1週間寝たきりになっていました






そんな多忙の中

頼まれた往診





高齢者のパーキンソン病患者様。



脳障害は右も左も分からない



手探りで ない頭で


学ぶほど 自分の無力さを知り



無理だ

治せない





脳神経科の女医さんのところに

アポ無しで飛び込みました



「一緒に見てください」

と頭を下げました。


ベテランの

鍼灸の先生にも

頭を下げました




3人でチームを作り

1人の人の治療にあたりました



「どうしても治してあげたい」


ただ
それ一心の毎日



3年間の

往診治療






女医さんは匙を投げ



鍼灸師は来なくなり






 その人は


私の施術中に




還らぬ人となりました。




助けてあげられなかった




悔しかった。




がんばったのに



理性は崩れ

止まらない涙に


無力さを知り



はじめて

「予防医学」の尊さを

感じました。



だから

2004年に

治療業界を一度諦めて


予防医学を伝えるために



美容専用「カラダラボ」を

つくりました



治療ではなく「美容専門」としたのかは


早い段階で
予防医学を広めたかったから。



自分には影響力も
カリスマ性もなかったのか


治療の世界で
予防医学を伝えたけど



いろんな方法で
伝えたけど



伝わりませんでした


でも

美容の世界だと

予防医学は

かんたんに伝わりました


気づき



明らかに


治療で来る人は「予防意識が薄く」


「予防」のお話が響かない



だから

手遅れになる


でも


「層が違う」

美容の人は


予防のお話が聞ける


それは


キレイになりたいから



美容の意識だけで

「予防」のお話を聞いてくれる



これは

大きな気づきでした


だから

本格的に「予防」をメインにするため



自分を固め





予防意識があること






これだけで



助けてあげられる人が増えました




あの日より 私がずっとやりたかったこと


「予防」を意識してから


この仕事は楽しいと
思えるようになりました


そして


「予防」を意識し出したら


自分のからだが変わりました。


まだ若かった自分には 


治療でくるひとに

「予防」を伝えていくことは

困難で

美容で伝えるようになりました



2008年

ワーク活動「LAPPON」





「本格的に予防を伝えていく活動」


をスタートしました



予防を広くわかりやすく伝える



ワーク・イベント形式です

これは

自分自身への挑戦でもありました







2012年
らっぽんはうすオープン





予防を楽しく伝えていくための場


としてつくりました

(らっぽんはうす柏というラインアカウントはこの時に作ったもので現在は「予防医学村 らっぽん」でまとまってますが 公式LINEは途中で名前変更ができないためそのままらっぽんはうす柏で使っています。)



らっぽんはうすは軽いネーミングで

予防の世界への気やすさを意識しました



「美容」の層ではなくて

「癒し」の層の人たち




療術業界の中で
圧倒的に人口が多かったのは

リラクゼーション業界(癒し業界)






治療業界・美容業界を
はるかに超えていて
そこでも広げようと考えました



しかし・・・



とんでもないことに
気付きました



癒し業界は「予防意識」が

治療業界以下だったのです




それでも
4年はがんばりました





当時10名の
モチベーションの高い
女性スタッフたちがいて


わたしは
マネジメント専門


予防医学から
方向性がずれ始めたので


修正

修正

また
修正



そして

チーム崩壊





2016年

治療・美容・予防・癒しの

集大成として






予防医学村
らっぽん
誕生




意味





L IFE LONG‥(生涯続く)

A NTI AGING‥(若返りの)

P REVENTIVE MEDICINE‥(予防医学を)

P OSTURE IMPROVEMENT‥(姿勢改善と)

O RGANIC INGREDIENTS‥(食材・食べ方と)

N EUROTOXIN WITHOUT‥(神経毒排除の視点から伝えていく)





現在は

このテーマに向かい

今まで以上に

本格的に動いています




らっぽん2100年達成願望

「世界から慢性病を0にする」





「世界」を視野に入れたのは

ブログやYouTubeでも

助かる人を増やせるから







2100年

「病気のない世界」が

叶うと信じて。







もう一つの「世界」




「あなたという世界」





そこから

慢性病が0になっていくこと






「あなた自身」のためと




「この星」のために












★取材関係★



2006・・・高橋麻衣子さん(通称まいち)が施術体験

2007・・・週刊実話にて当店が「頭蓋骨矯正とうつ病の改善」特集の取材を受ける

2012・・・原千晶さんからインタビューうける

高跳び日本一 戸邊直人選手メンテナンス中(オリンピック出場)

その他 モデル・芸能人・アスリート・毎週テレビ出演の弁護士さんなど 言えないくらい活躍中の方も来所

↑ イメージキャラクター らっぽん