どれだけ先をみているのか?



いつもどこまで先の事考えて生きているのかによって

大切にする言葉や

会話の質は変わってくる感じがします。


1年後はどうなっていたいのか?

3年後はどうなっていたいのか?

10年後は・・・


仕事の事・家庭の事

いろいろあります。


人間関係や

自分のやりたい事

お金の問題


あと大事なのは

「自分の特性」


ここが定まると

雨の中の一般道から

晴れた高速道路に乗ったように

視界が変わる感じ。


先の先の先をみている人って

夢が予定に変わる感覚だと思いますが

その中で

「健康である事」


これはかなり早い段階でクリアしている感があります。


からだが蓄積でできている事を知る


積み重なって将来の健康が作られる


からだが上がる事で

能力やパフォーマンスが上がる事も知っているのですね。

そして

心の器も。


先の先の先の究極は

「どう死ぬか」

って事だとおもいますが


例えば

「大切な人に最高の笑顔でありがとう」と言って死にたい

人生の最後を決めたとしたなら


人生の最後を病気で苦しんでいて

周りに迷惑をかけている状況で

最高の笑顔でありがとうをいうには


強靭な精神力がないとできない


そう思った人は

精神を作るための学びを今からでも行うでしょう。

(やり方はゴマンとあります)


そもそも論で

病気で死なないように生きよう

そしたら

最高のありがとうが言えるな


そう思う人は

今からからだの管理を徹底して行うでしょう。


大きな大きな目標を一つ決めたなら

毎日の小さな決断は

迷いがなくなり


例えば

トランス脂肪酸のポテチを毎日食べてる人は

「あ。これ食べたら最高の笑顔ができなくなるかも」

と気づき

義務ではなくて

やる気を持って

食べない。って決断ができるのだと思います。


私は10代20代の時に

多くの身近な友人知人をなくしました

事故・自殺・病気・・・


だから余計に「死」については

考えてきました。


いつしか

死ぬ瞬間が人生で最高の瞬間だったら


それって最高の人生だな

って思うようになり


その考え方で仕事してきたら

仕事で悩む事は無くなりました


だけど

その考え方を

10年間スタッフにシェアしてた時は

苦しかった。


本当は表面的な優しさを持てばよかったのだけど


全然会話ができなくて。

どこでもそうだと思いますが

今この瞬間や

今日明日の事を

考えている人の方が多くて


「死に方」

と言っても

まったくわかってもらえない感じ。


今はyoutubeで

エッセンスは入れてますが

「健康とはどう死にたいか」

ここを軸にしていきたいなって思いますね。


ビートたけしさんが

志村けんさんが亡くなった時に

「鬱になった。自分とさんまちゃんは孤独死だな。でも今を生きるしかない」

って言ってたのを聞いて

辛いだろうな

思いましたが


もうあと少しで死にそうでも

死に方を考えることはできるかもしれないと

思いました。


例えば

こんな棺桶に入りたいな

それを手作りするには?何を用意したらいい?

とか

葬式はこんな感じがいいな

メッセージビデオ作っとこうかな


とか

孤独死なら

どっか自然のきれいなところがいいので

どこに住もうかな

とか

死ぬこと自体を妄想して楽しめれば

エネルギーは上がるはずなので

なかなか

死ななかったりしますが 笑


まとまらなくて

わかりにくくて

すみません。


死に方を決めて

生き方を決める

的な

話でした。


どういう人生だろうと

私の考えとしては

健康や若返りは

欠かせません。


予防医学村らっぽん

慢性病をゼロに 【財団法人】生涯学習支援事業団 理事 からだ総合研究所 代表 技術屋ではなく「からだ」を大切にするために向き合う時間を提供する。 「根本改善」が本来の目的ではなく からだが良くなる以上にあなたの人生が良くなること。 「慢性病ゼロ♪」の一環として不定期に動画配信を。 目的は気づいて欲しいことがひとつだけある。本当のしあわせとは「自分のからだを深く愛していくこと」その他はその後です。

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